天理教が「どのように始まったか」から考える、自分の信仰のはじまり
10月26日はご本部の秋季大祭です。
その意義については別の記事で書きましたが、今回はさらにそれを深掘りしてみたいと思います。
前回の記事で、10月24日の親神様のお告げより数えて3日後の天保9年10月26日の朝五ツ刻、夫の善兵衛様は親神様の思召しに順う旨をお返事し、ここに天理教が始まったと書きました。しかし、こう思った人も多いのではないでしょうか?
「立教は10月24日じゃないの?なぜ10月26日なの?」
そうです、親神天理王命が中山みき様のお口を通して初めて人間にお言葉を発せられたのが10月24日。その日をもって、「天理教が始まった日!」としてもいいのに、なぜそうなっていないのでしょうか。ここは私も「あれ?」となった点でした。
しかし「天理教の考え方・暮らし方」という本には、次のように書いてありました。
『親神様の思召しを聞いたが、それに順うという心が定まらなかったら、以後、親神様のおはたらきは見せていただけないのです。言い換えますと、この人間の決心が立教の土台であると言えます。』
つまり、どんなに神様がたすけよう、導こうとしてくれていても、人間がそっぽを向いていては、神様もはたらきを見せることが出来ないということだと思います。まさに、「在るといへばある、ないといへばない。ねがふこゝろの誠から、見えるりやくが神の姿やで」(正文遺韻 p266 神様の有無に就て)との教祖のお言葉にもストレートに示されているところ。
まずは神様の方にしっかりと人間が向く、それが土台。だからその土台ができたときを立教としているのです。神様が現れたから自動的に信仰が始まったわけではないのです。
神様が天降られた中山家の方たちも、すぐに「信仰しよう!」となったわけではありませんでした。親戚も含めて相談を重ね、何度もお断りをして、それでも最終的に神様の思召しに沿う決心をしました。
私はこのプロセス、「どのように天理教が始まったか」は、天理教の元一日だけではなく、全ての信仰の元一日に通じるところがあると感じています。
私たちの信仰の元一日はいつなのでしょうか。信仰家庭に生まれたとき?教会長さんから初めてお話を聞いたとき?初めて別席を運んだ時?
きっとこの記事を読んでいる方、教会に参拝に行かれている方には、自動的に始まったわけではない、それぞれの「決心」のタイミングがあったのだと思います。
秋の大祭では是非、教祖おひとりから始まったこの道の始まりに思いをはせるとともに、自らの信仰、自らの家庭の信仰の元一日を振り返る機会にしていただけると素敵だなと思います。
【参考資料】
天理教事典 第三版 2018年3月26日 第1刷 編者 天理大学附属おやさと研究所 発行所 天理大学出版部 印刷・製本 天理時報社
天理教の考え方・暮らし方 2015年10月1日 初版第1刷発行 編者 発行所 天理教道友社
天理教ホームページ
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