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原典に見る「かしものかりもの」②

知らずにいては何もわからん!

前回のブログでは、「かしものかりもの」について、天理教事典ではどのように書かれているのかを紹介させていただきました。

そして今回は、天理教の原典、特に「おさしづ」、「おふでさき」ではどのように説かれているのかを紹介させていただきます。

 

「おさしづ」というのは、教祖「中山みき」様および本席「飯降伊蔵」さんのお口を通して啓示された神様の言葉を、お側に控えていた方が記した書物。

「おふでさき」というのは、教祖自身が筆を執って書き記した書物です。

 

その中でも、代表的と思われるものを3つ紹介させていただきます。

 

まず最初は、

思うようにならん/\というは、かりものの証拠」(おさしづ補遺 M21.7.28.山田太右衛門弟安治郎二十五歳身上願)

▶病気やけがなど、病んで初めて身体が自分の思い通りにならないことを痛感し、当たり前の健康がいかに有り難いかを思い知るという経験は、多くの方が思い当たるのではないでしょうか。そうした自分で自由にならないことこそ、「かりもの」の証拠であると説かれます。

また逆に、自分で意識しなくても、心臓が動いて呼吸でき、食べ物を消化してくれる。神様は常に働いてくださっていると考えます。

 

にんけんハみな/\神のかしものや

 なんとをもふてつこているやら」(第三号.40.135)

▶身体に限らず、「この世のすべてのものは神の体」であり、人間はその中でいろいろなものを神様からお借りして生きているという世界観があります。それを何と思って使っているのか、と説かれたお言葉です。

 

めへ/\のみのうちよりのかりものを

 しらずにいてハなにもわからん」(第三号.137)

▶ そして、一切のものは神様からの「かりもの」ですが、唯一自分のものとされているものがあります。それが「」です。ですから、心の使い方がとても大切になってくる、というように、「かしものかりもの」という教理は他の様々な教理の土台になっているような教えです。「知らずにいては何もわからん」と言われるほど、天理教の教えの肝心かなめであると言えます。

 

以上、原典、神様の言葉を紹介させていただきながら、説明させていただきました。

 

私は、知れば知るほど、この「神様から借りている」という世界観を知っていることは、人生においてとても有意義であると感じています。

次回は、身近なエピソードに触れつつ、「かりものだから有難い!」と思ったことを書かせていただきます。

 

【参考文献】

天理教青年会本部出版部(1994)『天理青年教程第三十三号-用語用例おさしづ集-』天理教青年会本部 

上田嘉太郎(2017)『おふでさき通解』天理教道友社

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