すべてのものは神様からの「かりもの」であるという教え
天理教には、「かしものかりもの」という教理があります。
何か「貸し借り」をするときの教えかな?と思われるかもしれませんが、これは「どのようにして生きるか」にも通ずる天理教の教えの肝心かなめ。
私たちは神様から様々なものをお借りしている、という考え方で、天理教の人の報恩感謝の態度の中心にあると言っても過言ではありません。
その教理について、数回に分けて解説させていただきます。
まず、天理教事典ではどう書いてあるか。
天理教事典というのは、「天理大学附属 おやさと研究所」というところが出している分厚い事典で、天理教のあらゆる用語が端的にまとめて解説されています。
私は天理教の事について調べるときにはまずここを当たる事が多いので、今後とも度々出てくるかもしれません。
さてその冒頭
「かしもの・かりもの」という教理は、天理教の独特な教理の一つで、「人間とは何か」を明らかにするものである。
と書かれておりました。実際、神様からお借りしているという教えは珍しいようです。
では何をお借りしているのか。
事典では、「いくつかの教理から成り立っている」と説明されていましたが、私なりにさらにシンプルに3つにまとめてみました。
①この世は神のからだ
▶すべてのものが神様からのかりものであり、神様のからだの中に生かされているという教え
そこには、空気や大地に至るまで、あらゆるものが含まれます
② 身の内 神のかしものかりもの
▶自分の身体さえも神様からお借りしているものであると教えられます
そして唯一、自分のものであると教えられるもの
それは、「心」だけは自分のものであるとされます
③ 出直し
▶「かりもの」ですから返さなくてはいけません
身体を神様にお返しすること。つまり、亡くなることを天理教では「出直し」と言います
では、天理教の原典。
おふでさき、おさしづという書物があるのですが、そこではどう書かれているか。
神様は何とおっしゃっているのか。
それは次回のブログで紹介させていただきます。
【参考文献】
天理大学附属おやさと研究所(2018)『 天理教事典 第三版』天理大学出版部
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