創造説話「元初まりの話」は、こう始まります。
『この世の元初まりは、泥の海でした。神様は、そのさまを味気なく思われ、人間を造り、その陽気ぐらしするのを見て、ともに楽しもうと思いつかれました』
人間は、そもそも仲良く陽気に暮らすために創造された存在で、人生の目的は「陽気ぐらし」にあると明かされています。
創造主である神様のお名前を、「天理王命(てんりおうのみこと)」と申します。私たち人間を生み育ててくださった親なる神様という意味で、「親神(おやがみ)様」とお呼びします。
そして人間創造の際に、最初に宿し込まれた地点を「ぢば」と言います。
現在その地点には、人間創造の元なる地点の証拠として「かんろだい」が据えられ、礼拝の目標としています。
親神様は、この「ぢば」にお鎮まりくださっています。
各地の教会では、毎日「朝づとめ」「夕づとめ」が勤められています。
天理教における最も重要な祭儀で、たすけ一条の道の根本の手だてです。
朝には、十全なるご守護に生かされていることにお礼申し上げ、今日一日、思召しに沿って勇んでつとめることをお誓いし、また今日も無事無難に健やかにお連れ通りいただけますようにと、願いを込めて勤めます。
夕べには、一日を結構にお連れ通りいただいたお礼と反省、そして明日への祈りを込めて勤めます。
だれもが自分のものであると思って使っている身体ですが、お道では、親神様からの「かりもの」と教えられます。そして、心だけが自分のものであり、その心通りに身の内をはじめとする身の周りの一切をご守護くださるのです。
したがって、借りものである身体を、貸主である親神様の思召しに適うように使うことが肝心です。この真実を知らず、銘々に勝手気ままな心の使い方をすることから、その身にご守護を頂くことができなくなり、ついには不自由を味わうことにもなってきます。
また、親神様のご守護に与ることのできる心づかいは誠の心であり、その最たるものは「人をたすける心」であると教えられます。
天理教では、人の死を「出直し」といいます。親神様からの「かりもの」である身体をお返しすることを指します。
出直しの語は元来、「最初からもう一度やり直すこと」を意味することからも察せられるように、死は再生の契機であり、それぞれの魂に応じて、また新しい身体を借りてこの世に帰ってくる「生まれ替わり」のための出発点であることが含まれています。
連綿と続く生命の営み、命のサイクルの節目を言い表す「出直し」「生まれ替わり」。大きな生命の流れの中でのバトンタッチを繰り返しながら、陽気ぐらしへの歩みが進められていくのです。